しなのユーキ・プロフィール

居住地 長野県塩尻市。生まれは松本市。3歳の時に東筑摩郡波田町(現・松本市)に引越し、
2001年に今の場所へ。
生年月日 1○72年12月16日・・・え!?そこを伏字にしても無意味ですって?
性別 男・・・名前を見て女性だと思われる事も多いです。
血液型 A型・・・典型的?
趣味 名古屋散策、ライブ観戦、ライブ企画、ライブ出演、旅行(鉄道、バス、フェリー好き)、
駅弁食べ歩き、プロ野球観戦、地域のお土産お菓子食べ比べ、日本史、寺巡り、競艇

山登り(安全な日帰り登山専門)、風景写真の撮影、サービスエリア&道の駅巡り
好きな食べ物 名古屋めし色々(あんかけスパ、ひつまぶし、味噌煮込みうどん、天むす、きしめん など)、
お好み焼き、ソフトクリーム、寿司、五平餅
、おやき、山賊焼き
嫌いな食べ物 酢の物、マヨネーズ、らっきょう、わさび漬、セロリ
好きな都市 名古屋、仙台、松本、飛騨高山、広島、松山
好きな地域 三陸、木曽、南紀、山陰、四国

Wikipedia風プロフィール

 

打ち込みミュージシャン・しなのユーキとは?

芸名=しなのユーキ

芸名の由来・・・私の本名の下の名前は4文字の名前ですが、そんな私は3文字の名前に憧れていました。
本名の名前の漢字を逆にすると『ひろき』とも読め、その漢字を『裕喜』に直し、2代目の芸名を『○○裕喜』に
しました。(○○の部分は私の本名の苗字) ちなみに初代の芸名は本名の下の名前をカタカナにしただけの
ものです。
『裕喜』は『ゆうき』とも読めると思い、読み方を『ひろき』から『ゆうき』に直しました。(3代目の芸名) しかし、姓
名判断のゲームソフトで調べてみたところあまり良くない画数だと分かり、良い画数を調べて『ゆう』の部分を『有』
の字にする事にしました。(4代目の芸名) この字だと苗字を抜いてもそこそこ良い画数だという結果が出たので、
ネット上でのHNを芸名から取った『有喜』にしました。ネット上で自分の苗字を公開したくない為、芸名から苗字を
外し、『有喜』という芸名にしました。(5代目)
更に、ライブデビューすることが決まりアーティスト名が『有喜』だとダサいと思い、また、変換が面倒などの理由
から2003年6月27日より『ユーキ』に改正しました。(6代目)
更に更に、2021年4月28日コロナ禍で活動休止中の中、検索しやすくする目的と、『ユーキ』の名前を使っている
他の人との紛らわしさ解消のため、『しなのユーキ』に改名しました。(7代目)


しなのユーキの活動


長野県内のライブハウスを中心にライブ活動中。楽器を使わず、打ち込み音に歌と踊り(振り付け)というスタイル
で、他にあまり例を見ないタイプのアーティスト(?)として異色の存在である。
そのライブスタイルには賛否両論で、「楽しい」とか「面白い」という好意的な声がある一方で、「くだらない」
「音楽をなめている」「いい歳して馬鹿な事を」などの批判的な声も。
また、イベンターとして、バンド系イベントの『パワーナイトエクスプレス』やソロ&ユニット系イベントの『自己主張の
祭典』を主宰。


ユーキのライブ風景
(撮影:岩佐さん)

しなのユーキヒストリー(デビュー〜)

2003/12/20●長野CLUB JUNK BOXで開催した、ユーキの初ライブ&初企画のイベント『シャッフルエクスプレ
ス』でライブデビュー。

2004/3/20●松本ALECXで『シャッフルエクスプレス2号』を開催。
2004/8/28●初のお呼ばれライブとしてAKKA企画『ルッパラ8』(松本HOT LAB)に出演。
2004/9/4●自身は出演しないアコースティックイベント『スウィートメロディー』を長野NEON HALLで開催。

2005/3/20●松本ALECXで『パワーナイトエクスプレス2号』を開催。初音源となる自主制作CD『伝説』を発売。
2005/8/7●松本ALECXでの通常ブッキングライブで自身初となるラスト(トリ)を務める。

2006/6/16●いいだFM放送の番組にゲスト出演。10分の間、ユーキの曲とトークが公共の電波で流される。
2006/6/4&6/18
●長野CLUB JUNK BOXと松本ALECXで自身の引退を賭けたライブを決行。2会場の合計で
15人以上のお客さんを呼べなかったら引退という中、18人のお客さんが来てくれ、活動を続行する。

2009/8/28●高崎club FLEEZで行われたハイビーバー企画『バンド名変わります!!ごあいさツアー2ファイナル』
にオープニングアクトとして出演。自身初の県外ライブとなる。

2010/9/11●京都AFTER BEATで行われた山本新&AFTER BEAT共同企画『一人上手vol.3〜夜の動物園〜』に
出演。正規出演者としては初めての県外ライブとなる。

2012/8/25●松本ALECXで自身初のワンマンライブを開催。当初は自主企画『パワーナイトエクスプレス11号』
として開催する予定だったが、出演バンドが集まらず、ワンマンとなった。(オープニングアクトあり)

2016/9/22●FM長野『ラジモ!』に出演し、約10分間、ユーキの曲とトークが公共の電波で長野県全域に流され
る。スタジオ生ライブとして『GO-HEY!』を1コーラス歌うも、イントロの激しい振り付けでヘッドホンが外れてしまう。

2021/4/28●ステージネームを『しなのユーキ』に改名。


しなのユーキヒストリー(〜デビュー)

高校卒業後、松本市内の某社へ入社。ここで私の音楽人生に多大な影響を与える事となる人物と出会う。その
人物こそ『あーた』のボーカリスト・小島義鎮なのです! 小島氏に自分が作曲家を目指している事を明かすと、
「作った曲を聴かせて」と言われました。しかし、楽器の弾けない私には作った曲を聴かせる手段といったらアカ
ペラくらいしかありません。しかも、当時は『夢と希望の街』以外にはアニメソングしかオリジナル曲が存在しませ
んでしたし。そこで、小島氏の勧めで入社1年目の冬のボーナスでYAMAHAのキーボードを購入。(18万円台
だったのを15万円で購入) 楽譜の解からなかった私にはそのキーボードくらいの機能が付いたものでなければ
作った曲を残しておく事が出来なかったのです。
キーボード購入後の第1作目『Love City NAGOYA』が完成。それを自信満々でテープに録音し、レコード会社数
社に送る。しかし、何れも良い返事は帰って来なかった。特に某大手レコード会社からは「オリジナル性に乏しい
単調な曲」と酷評される。自分を天才だと信じていた私にとって人生最大の屈辱でした(笑)
その後、年1曲ペースで曲を作り、その都度レコード会社にテープを送るが良い返事は返ってきませんでした。
☆その間作ってレコード会社へ送った曲☆
明日への旅立ち、坊っちゃん 〜松山にて〜、keep the nature、名古屋伝説、ゴール、フレンド、君の道、
また逢おうね、S

2000年・・・自分の曲の本当の良さを分かってもらう為にはキーボードでは限界を感じるようになる。そんな時、
「パソコンを使って作曲が出来る」というDTM音源・作曲ソフトなどがセットになったRlandの『ミュージ郎』のCMに
興味を持つ。そしてパソコンと共に購入!!自分が今まで作った曲にベース音等を入れ、キーボードで録音した
ものとは比べ物にならない程のちゃんとした曲に仕上がり感動する。
パソコン購入から1ヶ月後、自分のオリジナルCDを出したいと思うようになり、親から借金してパイオニアのCD
−Rミニコンポを購入。更にそれを収納する為のオーディオボードを購入。かなりの金欠状態に陥る。
そして念願のオリジナルアルバムが完成!歌声無しのBGM感覚のCDで10曲入り。これを希望者十数人に
配る。このアルバムは自分で聴いて癒されたり元気付けられるくらいの自信作でした。しかし、みんな歌の入って
ない曲を聴き慣れてないせいか評判はいまいちで、少し凹む。

2001年・某HPで広島のアイドル系ユニット『サンフラワー』のメンバーのエリさんと知り合う。エリさんのHPで曲
と詞の募集をしていたので、自分のオリジナルアルバムを送りました。すると、エリさんからその中の曲をラジオ
のBGMで使わせて欲しいとのメールが来ました。店で売られているCDだと著作権の問題があるからというだけ
の話なんですが・・・。
そして広島県尾道市のローカル局『FM尾道』で放送されていたレギュラー番組の1コーナーのBGMで『明日へ
の旅立ち』が流されたらしい。
この年の11月、『あーた』がインディーズからCDデビューするのに合わせ、『あーた』の公式サイトを名乗るHP
『あーた元気倶楽部』を開設。

2003年1月・HPの管理人をしていながらこの時期になってやっと初めて『あーた』のライブへ行く。(新潟)
そしてライブにハマることとなり、『あーた』に限らず数々のバンドやアコースティックアーティストのライブを観に行
くようになる。
次第に自分もステージに立ちたい!オリジナル曲を披露したい!という気持ちが強まり、2003年12月20日に
長野市のCLUB JUNK BOXで自ら企画したライブイベント『シャッフルエクスプレス』でライブデビュー!!
恥を捨てたヘンテコ振り付けパフォーマンスの特殊なステージに、辛口評論といわれるJUNK BOXスタッフのJさ
んに「長野県の音楽シーンを盛り上げる為にもっとステージに立って下さい」と言われる。