3日目・8月14日(水)
気仙沼−陸前高田−大船渡−碁石海岸−盛−鵜住居−釜石

 気仙沼のホテルを朝7時前に出て歩いて十数分で気仙沼駅へ。BRTの時間まで時間があったので駅のベンチで少し休んでから駅
のホームへ。その時になんとかBRTと列車がホームで一緒に写っている写真が撮れました。
7:30発の盛行きBRTに乗って陸前高田へ。そして陸前高田の平野に差し掛かった時、車窓から異様な光景を目にしました。
震災遺構の旧気仙中学校を過ぎると視界が一気に開けたのですが、そこには建物がほとんど無い広大な平地が広がり、海岸線には
巨大で長大な防潮堤が続き近くにあるはずの海が全く見えませんでした。そして山側の離れた所には少し高くなった土地(かさ上げ
された新市街地)があり、そこに沢山の建物が建っていました。海側のかさ上げされてない土地にもそれなりに建物があると思って
いたので、大規模整備中の殺風景な風景を目の当たりにして陸前高田の被害の大きさや復興事業の大きさを実感しました。
BRTはこの後歩いて来る『奇跡の一本松』駅(といっても一般道路上にあるただのバス停)を通り、かさ上げされた土地の縁にある
陸前高田駅に8:00に到着。ここも志津川駅同様に一般道路脇にある実質バスターミナルですが、ここには鉄道の駅のように『みどり
の窓口』もあります。陸前高田では3時間20分時間がありますが、ここでも大きなバッグを持ったまま歩きます。コインロッカーが無い
のも理由の1つですが、この旅で被災地を訪れる際あまり楽して回ったら意味がないと思ったので、大きなバッグを持って多少の苦労
をして被災地を歩きたいと思っていました。

陸前高田駅(到着直後は雨が降っていたため、この写真を撮ったのは帰りです)

小雨が降る中、歩いて奇跡の一本松方面に向かいました。途中で写真を撮りながら行きましたが、ガスがかかっていて防潮堤の遠く
の方があまりはっきりと見えず、この写真では防潮堤の規模がいまいち伝わりませんね。
もう少し歩くと旧『道の駅 高田松原』の震災遺構がありました。
その後、『奇跡の一本松』駅(バス停)前にある道の駅的な商業施設・一本松茶屋の前を通り、まずは旧気仙中学校を目指しました。
ちなみに今年の秋頃にこの近くの旧道の駅 高田松原の隣に道の駅がリニューアルオープンするそうです。
一本松茶屋付近までは普通に歩けば陸前高田駅から15分くらいだと思いますが、写真を撮ったり復興の状況を見ながら歩いていた
ので、その倍くらいの時間はかかったと思います。

気仙川の橋の上から見た新市街地方面

一本松茶屋から5分〜10分ほど(時間を見てなかったので正確な時間は不明)歩き旧気仙中学校に到着。駐車場のある一本松茶屋
からそこまで離れていないのにここまで来て写真を撮る人は私以外誰も居ませんでした。しかも私は大きなバッグを持っているという
のに。(大きさの割にそこまで重くはない)


時折小雨が降る中傘を差して写真を撮り、その後奇跡の一本松へ移動。奇跡の一本松へは旧気仙中学校からおよそ10分、一本松
茶屋からだと5分ちょっとかかります。奇跡の一本松にはちらほらと観光客の姿もありましたが、この後行く一本松茶屋の賑わいに
比べると少ない印象でした。


奇跡の一本松には約15分ほど居て、その後一本松茶屋へ。売店の入った建物の中には震災の写真を展示してある部屋があり、
その中で映像を流しながら被災者の方が体験談を話していました。時間があればそれもじっくりと聴きたかったのですが、気が付けば
3時間20分あったはずの陸前高田での滞在時間もあと1時間ほどになっていて、この後昼食を食べて陸前高田駅まで歩いて移動する
ことを考えると決して余裕がなかったので写真パネルをザット見て、売店であまり嵩張らないお土産を買ってから一本松茶屋内の
和カフェで少し早めの昼食として海鮮うどん(冷たいの)を食べました。一本松茶屋内の飲食店は他にラーメン屋がありましたが、
出来るだけ三陸っぽいものが食べたいと思い、店の外に貼ってあった海鮮うどんのポスターに釣られて和カフェで海鮮うどんを注文
しました。
カニかまはともかく、海藻類は三陸産だと思います。ホタテは分かりませんが。また、店内には小泉進次郎議員のサイン色紙と写真
が飾ってあり、数年前に被災地を訪れた際にこの店に入店されたようです。

 一本松茶屋を後にし、写真を撮りながら急ぎ気味に陸前高田駅へと歩いて行きました。

国道45号から見た新市街地方面


かさ上げされた新市街地(陸前高田駅付近)


陸前高田駅付近から見た奇跡の一本松方面

新たな街を造成中の新市街地を歩いてみたかったのですが、一本松周辺で予想以上に時間を費やしてしまったために出来なかった
ことがこの旅で最大の悔いだったと思います。

 陸前高田発11:20の盛行きBRTに乗車し、終点の1駅手前の大船渡へ。すると大船渡に到着する少し手前で大きな煙突のある迫力
のある工場があり、大船渡で路線バスへの乗り換えで30分以上時間があるのであの工場の写真を撮りたいと思いました。
11:54に大船渡駅に到着。大船渡駅はBRT専用道路上にあり、バスターミナル、バス停感の強い志津川、奇跡の一本松、陸前高田
などの各駅に対し、大船渡は本当にBRTの『駅』と呼ぶのに相応しい駅でした。
この時は何も知らずに大船渡で降りたのですが、実はこの大船渡も津波で大きな被害を受けたそうです。大船渡駅が大船渡市の
中心地に一番近い市の中心駅だと思っていたのですが、駅前にホテルやショッピングセンターはあるものの、市の中心地というより
は郊外の少し栄えている所という雰囲気の場所でした。
工場の写真を撮るため、港にある壁の切れ間から何枚か写真を撮りましたが、もう少し高い所からあの壁越しに写真を撮れる場所が
ないかと見渡していると、駅と直結している建物(大船渡市防災観光交流センター『おおふなぽーと』)の屋上に人が居たので行って
みると、外の階段から自由に2階建ての建物の屋上へ行けるようになっていたので屋上へ行き、工場などの写真を撮りました。

大船渡港、工場方面


工場


大船渡駅

乗車する路線バスの時刻が近付いてきたのでバス停の前で待っていると、近くにあった観光案内の看板を見て「えっ!?」と思いまし
た。それは、これから行く碁石海岸のシンボルともいえる穴通磯という大きな3つの穴の空いた巨大な岩があるのですが、そこは
碁石海岸のバス停から近い所にあると思っていたら、2kmほど離れているようなのです。碁石海岸で十分な時間があるなら歩いて行
けますが、碁石海岸での滞在時間は1時間弱で、その間にバス停付近の景勝地を見て、2キロ近く離れた穴通し磯にも行くのは
ほとんど不可能だと思いました。もしバス停付近の景勝地と穴通磯の両方を見るのなら、碁石海岸バス停に空車のタクシーが停まっ
ている場合だけだと思いました。

 大船渡駅前発12:30の路線バスに乗り、13:04に終点の碁石海岸に到着。「碁石海岸まで来ておきながら穴通磯が見れないなんて」
と思いながら海岸へ行くと、迫力ある岩場の景勝地が続いていて、良い意味で予想外でした。








結局バス停周辺にタクシーは停まってなく穴通磯へは行けませんでしたが、穴通磯以外にもこれだけ見所が満載で満足しました。
ところで、行きのバスも帰りのバスも碁石海岸まで(から)乗った乗客は自分1人だけでした。途中の集落のある所までは何人か乗客
がいましたが、観光客は私1人だけでした。しかも1日3本しか出てない碁石海岸行きのバスで一番観光客にとって良い時間帯のバス
のはずなのに。碁石海岸にはそれなりに観光客もいましたが、私以外はみんなマイカーもしくは観光バスで来たようですね。

 14:00発の路線バスに乗り、途中で大船渡駅にも寄りましたが、盛駅まで乗りました。BRT路線を大船渡−盛間の1区間だけ乗り残し
てしまったことは少し残念ですが、このバスが盛駅まで直通するのにいちいち大船渡駅で乗り換えるのが面倒だったので、盛駅まで
直行しました。
14:51に盛駅に到着。大船渡駅よりも盛駅の方が大船渡市の中心地に近いようで大船渡駅よりは賑わっていました。盛駅の窓口で
三陸鉄道の2DAYフリー乗車券と三陸鉄道のグッズを購入し、15:20発の久慈行きの列車に乗車。
この日の宿泊地である釜石を一旦通り過ぎ、釜石の2駅先の鵜住居(うのすまい)で下車(16:34着)。ここには9月に開幕するラグビー
ワールドカップ日本大会の会場の1つとして新設された『釜石鵜住居復興スタジアム』があり、それを見るためにここまで来たのです。
今回の旅の最大の目的である「被災地の復興状況を自分の目で見て回る」ことですが、人口わずか3万人台で他の開催都市と比べ
圧倒的に小さな都市である釜石市に1万6千人収容(うち約1万席は仮設席)のスタジアムが完成し、しかも『復興』の名が付くスタジア
ムなので是非見てみたいと思い、今回の旅のコースに入れました。ただし、列車の時間の関係で鵜住居での滞在時間はわずか
49分。
最短コースで行けば駅からスタジアムまでは徒歩5分ほどの距離なのですが、行きは最短コースの行き方が分からず遠回りしてしまい
時間をロスしてしまいました。そして駅到着から15分後くらいにスタジアムに到着。


ほとんどが仮設スタンドなので外側から見ると骨組みがむき出しになっていて、ここに何千人もの人が座って本当に耐えられるのだろ
うか?と少し心配になってしまいました。メインスタンドの方を見てみると人が見えたので「勝手に中に入れるのか?」と思い行ってみる
と、メインスタンドの一部が無料開放されていて自由に見学出来るようになっていました。スタジアムを外側から見ることしか考えてい
なかったので、中に入れると知りとてもラッキーだと思いました。
ただ、列車の時間までもうあまり余裕がなく、もしその列車に乗り遅れたら次の列車は約1時間40分後なのであまりゆっくりもできず、
急いで駅に戻りました。
17:23発の上り列車に乗り、17:36に終点の釜石に到着し、駅に隣接するJRグループのホテルにチェックインしました。このホテルは
ラグビーワールドカップを見越してオープンしたホテルだと思いますが、ワールドカップ期間中(特に釜石で試合がある日)は確実に
ホテル不足になるでしょうね。ワールドカップ期間中は釜石から列車で1時間半以上かかる花巻や盛岡のホテルにもかなり影響が出
るのではないかと思います。
少し休んでから本で調べた駅前の商業施設内の店で夕飯を食べようとしたらその店は昼しか営業しないようで既に営業を終えていた
ので、少し歩いて本に載っていた別の店に行き、そこでウニとイクラののった三陸丼を食べました。
釜石はラグビーの街というだけあって店内にはラグビー選手のサインが沢山飾られていて、自分の隣のカウンター席に座っていた
家族のご主人の父親は新日鉄釜石の元監督だったそうで、そのご主人もラグビーの選手だったそうです。
帰りにコンビニで明朝の朝食を買い、ホテルに戻りました。

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