2004年6月27日〜30日 北海道(函館、有珠山、支笏湖、札幌)

会社の連休を利用して北海道へ行くことにしました。今回の旅行の主な目的は、東北新幹線の八戸延伸以来
初めて延伸区間に乗ること、八戸延伸によって誕生した八戸と函館を結ぶ特急「スーパー白鳥」に乗ること、
有珠山(うすざん)へ行って2000年の噴火で出来た新火口を見ること、北海道を代表する湖でありながらまだ一
度も行ったことのなかった支笏湖(しこつこ)へ行くこと、そして日本ハムファイターズの札幌移転後初めて札幌
ドームで野球観戦をする為でした。
6月27日には長野で観たいライブがあったのでその日は長野に泊まり、その脚で北海道へ行くことにしました。


1日目・6月27日  自宅−松本−長野

雨がパラついていたので、最寄り駅まで父に送ってもらいました。駅に着いてから重要な事に気がついた。それ
は、旅行鞄の肩掛け用のベルトを付けてくるのを忘れてしまったのです! あれがなくては乗換駅などでトイレに
行く時に大変不便です。まぁ、長野で少し時間があるんだから長野へ行ってから買えばいいか!
最寄り駅から長野行きの普通列車に乗り長野へ。約1時間半後の16:37に長野に到着。車内ではいつものよう
に爆睡状態でした。

長野駅前のホテルメトロポリタン長野へ行きチェックイン。
このホテルは長野オリンピックの産物であり、平安堂(長野県で
有名な本とCDの店)のビルと並んで長野駅前の景観を大きく変
えたビルの1つです。
部屋からは駅前広場がよく見えました。

腹が減ったので駅ビルの中でラーメンを食べてから東急へ行き、
鞄の肩掛け用ベルトを買いました。それから急いでCLUB JUNK
BOXへ。
この日はここで佐久のバンド・Velvet MOONのライブがあるので
す。このバンドのボーカルのNalさんとドラムのEikiさんとはちょっと
した知り合いなのです。
この日は同じ長野市のネオンホールでも見たいライブがあり、
Velvet MOONのライブが終わり次第ネオンホールへ行くことに。

この日のライブはJUNK BOXの方がネオンホールより始まりが1時間早く、Velvet MOONは2番手なので、ネオン
ホールのライブは2組目から見れるかもと思っていましたが、JUNKの方のライブがなかなか始まらない…。
結局スタートが20分くらい遅れてしまいました。
Velvet MOONのステージが終わったのは19時50分頃で、それから急いでタクシーに乗り、長野市権堂にある
ネオンホールへ向かいました。この日のネオンホールのライブには『エイトヤマザキ』こと『岩』のKAORIさんや、
面識はありませんが最近結構好きな信大生バンドの『ろんづ』ら4組が出演し、その2組のステージは絶対に観
たいと思っていました。
ネオンホールに着き中へ入ると、KAORIさんが居ました。KAORIさんに訊いてみると今演奏しているのは2組目
のバンドで、1組目はKAORIさんだったそうです。残念!! でも『ろんづ』が観れるからまだいいかと思った。
『ろんづ』は一番最後(4組目)で、3組目はスタートルガーデンという女性ドラマーの3ピースバンド。このバンドを
観るのはこれで3回目でしたが、前回観た時に少し良いと思っていました。そして今回観て、かなり良いと思い
ました。

ネオンホールからホテルまでは歩いて帰りました。歩いても20分程度の距離なんですが。
長野でのライブ後によく寄るラーメン店へ行き、夜食にまたラーメンを食べました。


2日目・6月28日  長野−大宮−八戸−青森−函館

長野駅で朝食のサンドイッチを買い、7:50発の長野新幹線「あさま」2号で大宮へ。大宮着8:55、9:18発の
東北新幹線「はやて」7号に乗り換える。「はやて」に乗って一気に青森県の八戸へ。
途中、盛岡駅では併結していた秋田行き「こまち」と切り離す作業の為4分停車。私はこの時間を利用して昼食
用の駅弁を買いに走った。
盛岡駅といえば名駅弁が揃う駅弁の激戦地! がしかし、ホームの売店に”盛岡駅の”駅弁が見当たらない。
売られているのは宮古駅で売られているはずの駅弁が3種類。確かに宮古駅の駅弁も三陸の海の幸を使った
魅力的なものなんですが、せっかく盛岡へ来たのだから盛岡の駅弁が食べたい。
しかし列車の発車時刻が近付いてきてしまったので、宮古駅の駅弁を買うことにしました。

八戸着12:04。ここからは在来線特急の「スーパー白鳥」に乗る
訳ですが、この列車だけ指定席が取れなかったのです。
平日のこの日の列車が発売日を1日過ぎただけで満席なんて
修学旅行かなんかの団体が入っているとしか考えられない!と
思っていた私でしたが、その予想は見事に外れました。
理由として考えられる事は、6月下旬という北海道旅行には最も
良いといわれるシーズンであり、東北新幹線の八戸延伸によって
関東から列車で北海道へ行く人が増えたという事だろうか?
更にこの列車は5両編成と、編成が短いのです。

八戸発は12:16なので、当然自由席が空いている訳はありませ
ん。自由席の車両には通路に立って乗車する人が大勢いました。
もちろん自由席車両のデッキも人がいっぱい!!
意外と知られてないんだね。穴場を!(知られてたら穴場じゃない
けど)

こういう時は自由席から離れた指定席の車両のデッキへ行くと良
いんです。自由席特急券だからといって、席が空いてない場合でも
自由席車両に居なくてはいけないなんて決まりはないのですから!
さすがにグリーン車のデッキだと悪い気がしてしまうので、グリーン
車は避けることにした。

先頭車両のデッキへ行くと、立っている人が誰も居ませんでした。
やはり穴場ですね! しかも、この列車は運転席が高い所にあり、
通路の先頭部分からは前の景色が見え、運転手の気分が味わえ
ます。
青森で進行方向が変わってしまう為、青森までの約1時間だけで
したが、グリーン車以上の”特等席”を利用することが出来ました。
ただし、ずっと立ちっぱなしでしたが…。

13:15に青森に到着。青森で進行方向が変わるせいもあって6分の停車。
先ほど盛岡で買った駅弁だけでは物足りなかったので、何か食べたい駅弁があれば買おうと駅弁売り場を見た
が、特に食べたい駅弁がなかったのでパスしました。
青森でお客さんが沢山降りるかもしれないと思い自由席の様子を見たが、その考えは甘かった。という事で、
青森から先の2時間も立って行くことになった。また先頭車両へ行こう!と思い、先ほどまで最後尾だった車両へ
行こうとするが、その車両がグリーン車だった事に気付いた。いくらデッキだからといっても、自由席特急券で
グリーン車の車両に乗るのは気が引ける。
そんな訳で、青森からは最後尾となる先ほどまで先頭車だった5号車のデッキでまた立って行くことになりました。

列車は14時前に青函トンネルに入りました。青函トンネル内には「ドリームサイン」と呼ばれる電光で表示される
絵があり、それを動画で撮影しようとデジカメを構えていました。がしかし、いつまで経っても「ドリームサイン」が
出てこないではないか! 結局「ドリームサイン」が出てこないままトンネルから出てしまいました。
前回青函トンネルを通った時も見れなかったような気がするのですが、「ドリームサイン」のサービスそのものが
何らかの事情によって終了してしまったのだろうか?
14時半過ぎに青函トンネルを出ました。トンネル内走行時間は30分強でした。

15:16に函館駅に到着。2年ぶりの函館で、新駅舎になってから
は初めてになります。
この日泊まるホテルは駅から少し遠いのですが、ホテルに荷物を
置いてからまた来るので駅散策は後にして、店が閉まってしまう前
に駅前の”函館朝市”へ行き、腹ごしらえをしなくては。
”朝市”とはいうものの、夕方まで営業している店もあるのです。
どの店に入ろうか迷った挙句「イクラ亭」という店に入り、そこで
ウニホタテ丼(1900円)を食べました。
この店は店名の通りイクラが看板メニューのようですが、そのイク
ラを使ってないメニューを頼むとは邪道ですね(笑)
私は最初からウニが食べたかったのです。ウニを使った丼はどの
店も高く、ほとんどの店で2000円以上でしたが、この店は他の店
と比べて比較的安かったのでこの店にしたのです。
あとこの店はウニも売りの1つのようで、店の看板にはウニの絵が
描かれていました。
やはりウニは長野県で食べるのと全然違うと改めて思いました。長野県の回転寿司屋などで食べるウニって苦い
んですよ。でもここで食べたウニは甘くて感動でした。

駅前から路面電車で十字街まで行き、この日宿泊するホテルJALシティ函館にチェックイン。部屋で少し休んでか
ら再び路面電車に乗って函館駅へ。
駅の中を散策してから、駅前の海に浮かぶ青函連絡船記念館の摩周丸へ。函館には何度か来ていますが、
摩周丸へ行くのは初めてでした。
ここで私が真剣に見入ってしまったのは「青函連絡船の歩みコーナー」。まず、第二次世界大戦中に米軍機によ
って青函連絡船の全ての船が攻撃され、多数の犠牲者が出てしまったことが紹介されているパネルで釘付けに。
ここで少し気になる写真がありました。その写真とは、連絡船を攻撃している米軍機を上から撮影した写真なので
すが、その写真を誰が撮影したのかがとても気になりました。
他の米軍機が撮影し、その後アメリカ側からその写真を引き渡してもらったのか、それとも、日本軍機が撮影した
ものなのか。もし日本軍機が撮影したのであるなら、連絡船が攻撃される前に米軍機を撃ち落すことが出来なか
ったのかと真剣に考えてしまいました(笑)
もう1つ見入ってしまったのが、昭和29年に台風によって洞爺丸が転覆してしまい、千人以上の犠牲者が出てし
まったことが紹介されているパネル。当時は今のように気象観測の技術が発達しておらず、台風が去って行った
と船長が勘違いして出航してしまい大惨事になってしまったのです。
この台風は時速100キロという台風としては物凄いスピードで移動していたが、北海道付近に差し掛かるとその
スピードを50キロにまで落としてしまった為、大惨事に繋がってしまったそうです。
摩周丸には17時過ぎに入館し、閉館ぎりぎりの18時前まで居ました。(この日最後まで居た客)

函館駅2階の飲食街で夕食を取り、コンビニに寄ってからホテル
へ。そのコンビニでこんなものを見付けました。袋に北海道日本
ハムファイターズのロゴの入ったパンです。
函館駅でもファイターズのポスターが貼ってあり、今年から北海道
に移転したファイターズを盛り上げようという地元企業の意気込み
が伝わってきました。

外が完全に暗くなるまでホテルで1時間ほど過ごし、ホテルから
歩いて函館山ロープウェイの山麓駅へ。
ロープウェイで山頂へ行くと、やはり人がいっぱいでした。平日にも
拘らず…。
メイン展望台はとにかく混んでいて、とても三脚を使って夜景の写
真を撮れる状況ではなかったので、穴場の展望台へ。ここはやは
り人がそれほど居ませんでしたが、メイン展望台のような高い所で

はないので、下の木が邪魔してしまって私の短い三脚で撮るのには少し問題があった。
その後もう一度メイン展望台へ行ってみると、さっきよりは少し空いてたので、何とか撮影することが出来ました。
函館山に来たのはこれが5,6回目でしたが、一度冬に来た時に見た夜景がとてもキラキラしていて一番綺麗で
した。

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